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| きわダイアローグ01_1.対話的な旅ー「精神とランドスケープ」の背景
| きわダイアローグ01_2.偶然と必然のダンス ユラユラ揺れながら世界が形成されていく
| きわダイアローグ01_3.点—連続と境界
| きわダイアローグ01_4. 新しい旅と知覚
| きわダイアローグ04_1. 空間自体が、行動を誘う
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| きわダイアローグ02_1. 世界の捉え方:総体としての自己
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| きわダイアローグ09_1. 言語的な「分かる」ではない感覚を重ねていく
| きわダイアローグ09_2. 「とりあえず残していたアウトプット」が出ているからこそ、振り返る意味がある
| きわダイアローグ09_3. 本来は削りたくないところをどうやって残していくか
| きわダイアローグ09_4.能動・受動を超えた「一つのシステムになる」感覚
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| きわダイアローグ03_1. 1990年から2020年へ
| きわダイアローグ03_2. デジタリティ
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| きわダイアローグ05_1. 文化の集積としての比叡山
| きわダイアローグ05_2. メディウムとしての水と日吉大社
| きわダイアローグ05_3. 山からのまなざし、山へのまなざし
| きわダイアローグ05_4. 仏教と暮らしのなかの文化
| きわダイアローグ05_5. 自然の真ん中にいると、自然を感じる必要性はない
| きわダイアローグ05_6. 人間が自然な営みをつくると、人工物が増える
| きわダイアローグ10_1. 人間が中心の仏教
| きわダイアローグ10_2. 何がウェルビーイングなのか
| きわダイアローグ10_3. 都市生活と内面の探求
| きわダイアローグ10_4.ウェルビーイングのイメージの変化
| きわダイアローグ10_5. 生命の閾値
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| きわダイアローグ06_1. 自然と人の生活を解釈する
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| きわダイアローグ07_3. 自分が住んでいる生息圏を歩く
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| きわダイアローグ08_4. 生まれたところ、育ったところで風車が見える
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| きわダイアローグ11_1. 消え方は、生成の仕方
| きわダイアローグ11_02. 自然・生命の感受の仕方
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| きわダイアローグ12_1. 位相が切り替わる
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| きわダイアローグ12_3. 残らないものの美学
| きわダイアローグ13_1. 地層の物語性の紡ぎ方
|きわダイアローグ13_2. デジタルカメラによる撮影行為とイメージの現れ
|きわダイアローグ13_3. 重なりに残る痕跡
| きわダイアローグ14_1. 展示「きわにもぐる、きわにはく」の経緯
| きわダイアローグ14_2. 齋藤彰英の写真行為
| きわダイアローグ14_3. 言葉をそのまま、どう空間に転写していくのか:人々が織りなす風景がすごく演劇的である
| きわダイアローグ14_4. 生態系の中の一部である人間の、生命行為としての制作
| きわダイアローグ14_5. 水盤に意識を飛ばす
| きわダイアローグ14_6.「これもありだね、あれもありだね」:共通性の感覚のすり合わせ
| 鈴木隆史
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2019年12月25日
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